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旅のストーリー「時代を切り拓いた女性たちの軌跡を巡る旅」
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富岡市街タッチラリー 磯部温泉タッチラリー 安中市街タッチラリー 横川タッチラリー
うららかな春の早朝、これからの旅に思いを馳せながら、休日で人もまばらな新宿駅のホームで電車を待つ。新宿駅から湘南新宿ラインに乗り、約2時間の高崎駅で下車。
珍しい「0番線」のホームから上信電鉄に乗り換えて40分。最初の目的地である富岡に到着する。
「上州富岡駅」からは、緑色の線を辿り、歴史を感じる富岡の市街地を歩いて行くと、やがて灰色の高い塀が見えてきた。明治5年に日本初の官営模範工場として誕生した富岡製糸場は、この塀の中で今も当時とほぼ変わらないまま残っていた。
ここでは、ボランティアのガイドが無料で場内の案内をしてくれる。ガイドの話を聞きながら、良質な生糸の生産によって日本の近代化を進めた富岡製糸場の工女たちが、フランス流の厳しい労働環境の中、国の未来を背負い、かついきいきと働いていた姿が浮かんできた。その様子は、信州松代から碓氷峠を越えてこの地にやってきた工女・和田英が書いた「富岡日記」として残っている。工女たちは、全国から士族の娘を中心に何百人と集められ、その後は故郷に戻り指導員として活躍したと聞く。明治初期の日本の近代化を支えた工女たちの活躍を見て、生きていく力を感じた。
富岡製糸場を出て、携帯電話を使ったタッチラリーをする。富岡製糸場周辺の街並みは、今も明治期の建物などが残っていて、ノスタルジックな雰囲気を味わいながら散策することができる。昼食は、工女たちが食したと言われるカレーを復元した「工女カレー」のある「高田食堂」で、当時に想いを馳せながらゆっくりと味わった。
昼食後は、富岡仲町駐車場から磯部駅を結ぶ観光路線バスに乗車する。土日祝に運行されているこの青いバスはひときわ目立ち、迷わず乗車することができた。バスは、富岡の市街地を抜け、地元名産である蒟蒻の畑や、日本三大奇勝の一つである妙義山を眺めながら、次の目的地である磯部温泉に到着した。
磯部駅でバスを降りると、駅前には温泉記号発祥の地であることが記された石碑がある。工女・和田英が信州から富岡までの旅の途中で立ち寄り、ここで疲れを癒したと言われている。そのまま温泉街を歩いて行くと磯部公園に着く。ここ磯部温泉で、「竹の春 雀千代ふる お宿かな」の句で知られる明治の児童文学者「巌谷小波」が舌切り雀の昔話を書き上げたと言われている。他にも地元出身の作家・大手拓次や萩原朔太郎、北原白秋といった文学作家の詩碑に書かれた文字をゆっくりと声に出して読みながら、文学散歩を楽しみ、タッチラリーをする。
磯部の朝は、近くを流れる碓氷川に朝日が映えとても爽やか。朝食を済ませてから磯部駅に向かい、信越線でひと駅の安中駅まで移動した。安中駅を降り、少し歩くと「旧碓氷郡役所」や「安中教会」「安中藩武家長屋」「安中藩奉行役宅」といった幕末から明治初期にかけて建てられた歴史的な建造物が並び、ここでもタッチラリーが楽しめる。とくに「安中教会」は日本人の手によって作られた日本で最初のキリスト教会である。この地域のキリスト教普及に貢献するとともに、この地域が女性の社会進出に寛容となる素地をつくりあげたそうだ。だからこそ、富岡製糸場の建設理由のひとつになったのだと納得できる。幕末から明治の時代、激動の日本の中で、早くから近代化していたこの地域の歴史に触れ、次の時代を切り拓いた新島襄ら、この地域の先人を身近に感じることができた。
その後、鉱泉を使った地元銘菓の磯部煎餅の店舗が並ぶ温泉街を抜け、宿泊先に向かう。この磯部温泉の泉質は「炭酸水素塩泉」。無色透明のお湯で、お肌すべすべの効果があることから「美人の湯」と言われている。文学散歩と美人の湯で、私も「知的美人」に近づけたのではないだろうか。夕食は地元産品を使った懐石料理を楽しむ。特にこの温泉で作った「ふわとろ豆腐」は滑らかな味わいで絶品であった。夕食と温泉こそ旅の醍醐味だ。明日の予定を思い浮かべながらゆっくりと眠りについた。
昼食は、歴史的な街並みの中にある老舗の飲食店「高島屋」で地元秋間梅林の梅を使用した料理を食べる。この梅料理、疲れた身体にほのかな酸味がとてもやさしい。ぜひとも味わって頂きたい。
再び安中駅に戻り、信越線で次の目的地である横川駅に向かう。
横川駅を降りると目の前には、「鉄道文化むら」があり、D51などが展示されている。その横には、旧碓氷線のアプト式の路線を辿る「アプトの道」が伸び、タッチラリーが楽しめる。
明治政府の富国強兵政策によって、明治25年に作られた旧碓氷線は、66.7‰という急勾配な碓氷峠を登る横川〜軽井沢間を結び、人の移動だけでなく、木材や鉄鋼の運搬、さらには生糸の輸送と、日本の近代化と発展に大きく貢献した。そして、この碓氷峠は、富岡製糸場の工女であり「富岡日記」を残した和田英が信州松代から富岡製糸場に来る際に歩いて通った峠である。
「富岡日記」にも記され、和田英も食べた「力餅」は、体力のいる峠越えの際のちょっとした食事として重宝されていたそうだ。今もおみやげとして買うことができる。甘さ控えめで小ぶりなあんこ餅はペロリと食べられる。そんな楽しみもあるアプトの道をタッチラリーとともに「旧丸山変電所跡」「峠の湯」、まで歩く。
帰りは、トロッコ列車に乗り鉄道文化むらまで戻った。これで全タッチラリーを制覇したため、帰りに横川駅前の「峠の釜飯」の売店で、安中の天然杉作られた「碓氷峠の通行手形」をプレゼントとして受け取る。楽しい旅の思い出がすべて詰まっているようだ。今回の群馬・西上州の旅で、日本の近代化のため活躍した女性たちの歴史から、次の時代を切り開く勇気と知性を教えてもらった。旅の最後にもらった「碓氷峠の通行手形」は、そんな想いの詰まった未来への通行手形のようだ。
さあ、家で待っている家族のお土産には碓氷峠の磯部煎餅と力餅をもって帰ろう。