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 日本の近代化は、富岡製糸場と絹産業遺産群のある群馬県は西上州で生きた明治の女性たちの手によってもたらされました。この旅では、幕末から明治にかけての混乱した時代の中で、豊かな知性と活動力を持ち、鮮やかに時代を切り開いた工女たちの軌跡を辿りながら、彼女たちの残していったエートスを感じていただけるものとなっております。
そんな旅の基礎知識をここで説明します。
まず、富岡製糸場を中心に近代化が、この地域で当時進められた背景として、2つの理由があげられます。一つは、「地の利」。かの有名な「澁澤栄一(しぶさわえいいち)」が、この富岡の地域を見込みました。そして日本海と太平洋を結ぶ線路として考えられた信越線アプトの道。この両輪が日本の近代化には欠かせないものであったことは、明白です。
官営の製糸工場の建設にあたり、明治3年に横浜のフランス商館勤務のポール・ブリュナらが候補地として武蔵・上野・信濃の各県を調査し、上野の富岡に場所を決定しました。富岡製糸場が選ばれた理由としては、原料の繭の確保、工場建設に必要な土地、製糸に必要な用水の確保、燃料の石炭の確保という条件をこの地域が満たしたことにあります。
そして、その誘致の最も大きな理由が、もう一つの理由である「人の利」にあります。
実は、この安中・富岡が位置する西上州地域は、明治時代から、すでにキリスト教布教の影響もあり、外国人指導の工場建設に地元の人たちの同意を得やすい背景がありました。
さらにキリスト教は、外国人だけでなく、女性の社会進出にも、地域住民に寛容さをもたらしました。その結果、工女が胸を張って、日本の近代化に大きく貢献することができたのです。
詳しく話しますと、安中地域に屹立する「安中教会」は、群馬県では最初のキリスト教会であり、日本人の手で創立された日本で初めてのキリスト教会でもあります。「新島襄」より洗礼を受けた地元の求道者30名の中には、女性が14名含まれていた記録が残されています。
当時の日本は、幕末~明治維新の中で、男尊女卑が当たり前で、女性が外で働くなど考えられない時代でした。そのような時代の中で、人生や労働に対する価値観に対して直接影響を及ぼすことのできたキリスト教は、絹の原料のお蚕様の成育や絹糸の生産を支える工女たちの心の柱になっていたのではないかと考えることができます。
キリスト教に影響を受けた勤労の精神を持った女性達は、富岡製糸場の西洋式の生産工場での生産管理、品質管理も学習し、西上州の絹の生産・販売量を全国一にしていきました。このことは、松代出身の和田英(わだえい)が作成し、今に伝えられる「富岡日記」に、その詳細が記載されております。
彼女は、松代藩主の娘として育ち、政府の方針により、絹産業を松代で興すことを求められ、その生産技術を学ぶために富岡製糸場を訪れました。碓氷峠を越え、途中で力餅を食べ、磯部温泉で旅の疲れを癒し、外国人や女性に寛容な地域によって支えられる富岡製糸場で全国の武家の娘さんたちと励まし合いながら、技術を身に付け、故郷に帰り、産業を興していきました。
このように全国から工女を受け入れ、育て、日本の近代化及び発展に寄与した富岡製糸場と絹産業遺産群を、みなさんに存分に味わっていただきたいと考えております。